masaki nakao

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外殻と核  Schale und Kern
 芸術のジャンル間での対抗関係は近代美学に於いては、既に終わりを告げているかと言えば、むしろその逆である。19世紀の近代美学の 
父と呼ばれる存在の一人、詩人のシャルル・ボードレールは、彫刻の決定的な欠陥は、あまりにも自然に固執している事であると言っている。
物質的で空間実体的な彫刻は、必然的に両義的で曖昧となる。 何故ならば、それは多数の表面を同時に示しているからである。あまりにも
たくさんの不明瞭なパースペクティブが可能であり、このことは芸術作品の独立した地位を妨げるものである。 このようにボードレールに
とって、彫刻という芸術の性質は、とりわけ、それ自体が物であるが為に制約を受けるということにある。 更に彫刻を中傷したのは1950年代
の画家バーネット・ニューマンである。 彼は、ある人が絵画を見ようとして後ろへさがった折、うっかりして或る彫刻の中へ足を踏み入れて
しまったと嘲笑的に述べているが、この弁の中に、彫刻の具体性・実体性に対抗する転機が伺われる。 (*訳者註:この“ある彫刻”とはカール・
アンドレの床に鉄板をタイル状に敷き詰めたインスタレーションの事を指すが、元々それは鑑賞者にその上を往来させる意図を持たせたもの
であり、当時ニューマンはその事に気付いていなかったものと思われる。)
 以上の事と関連して、1960年代の芸術の焦点は“物”の復権である。“物”は好景気を迎える中、それは特に当時、絵画において顕著であった。
抽象表現主義が、超越的な憧憬や要求からのものであったのに対し、この“物”の復権は“物質化”の勝利 (絶対性への制約)であった事が認識 
される。 主観から客観、心理から物質、存在論から認識論、への一般的な変換に関して、ここで特に大切なのは、それが二面性を帯びていた
ことである。 60年代から芸術家は、世界は常に、メディアで作り上げられて来たのだと看なすようになる。そしてその意味に於ける物質性は、
必然的に前もって決定されているのだ。 後に獲得される、副次的な“開放性”に関しての、“フィールドの拡大”【ロザリンド・クラウウス】が
その例にも概して当て嵌まる様に。 このことからまず我々が生きていマスメディアの文化システムの中での美術の再安定化が試みられること
になる。 現在のコンテクストに於ける、芸術家と社会の新しい関係のあり方は、“不安”や、ある“不確定的な領域”の発見・発覚を伴い、更に
それらを 以て、旧来の芸術家的アイデンティティー(同定化)から決別し“中立な領域”の発見へと進んでいく。 これら背景として、もとはと
言えば、工業的物質であるネオン管(蛍光灯)やプレキシグラスやポリエステルといったものの芸術への編入が理解される。 これらの素材は、
とても面白く、関心をそそるものである。 何故なら、それらは真新しく、また個人的な言語から、集団的なそれへと転換され得るからである。
但し、これを以てその全てが手放しで肯定的に絶賛されたものと看做されるべきではないが、また、60年代以降の芸術の特別で実験的な性格
ををも見過ごしてはならない。 歴史的な前衛運動の力価を基にして-(前衛運動の終焉という議論にはここでは触れないことにして)-この実験に
対する、機運の持続がもたらされた。 これらの前衛作品は、文化産業のもつ両価的な側面に対し時として特別の抵抗形態を見いだすのに成功を
収める一方、自ずとそれが既存の芸術として受け入れられるのを拒み乍ら、また、他方では常に新しい独自の芸術主張を作り上げてきた。
 中尾正樹は60年代を後継する世代の芸術家である。 例えばシュテファン・バルケンホールやカタリーナ・フリッチュの二人は、各々異なる
スタイルをもった彫刻家ではあるが、やはりこの世代の作家として挙げられる。 このような50年代に生まれた芸術家について、極めてそれを
一般化して述べてみるなら、彼らは一方で上述のような60年代の地平で仕事をしているが、他方ではポストモダン時代にある可能性の多極化
の中でその条件を過激に用いている。 だからバルケンホールは彫刻家ウルリッヒ・リュックリームの薫陶を得てして尚、躊躇なく具象的木彫
に戻った。 勿論、その作品が伝統的な手工芸と区別される必要があることを、批評家は瞬く間に見抜いたのだが。 これに対し中尾の造形論理
の特殊性はバルケンホールのものと明らかな対照をなしている。 即ち、木彫彫刻家バルケンホールが、彼自身に木の幹に潜んでいると見えた
形態を伝統的な技術で彫りだしているのに対し中尾の場合、厳密に言うと、“立体がもたらす表現性”そのものが重要である点にある。これは
フリッチュの場合にも符合するものがあるが、日本的な立場から、中尾はよく計画された構成的な視座により、二つの全く異なる物質である
コンクリートとポリエステルを用い「付加的な 技法」や「組み合わせる技法」(特に型に注入する技法)により立体を作り上げる。 そして
その際の顕著な特殊性は、この作家にとって表皮と核が、同様に興味深いものであるという事である。またそれらの“外殻”と“中核”を形作っ
ている立体は、時に各々、単独の立体作品として成立し得る。これに対して、フリッチュにとっては純粋に“素材の表張り構成”が目的である。
彼女もやはり型取りの技法でポリエステルの立体を制作して居り、例えばサイケデリックでカラフルな聖母マリア像やキッチュなプードル等
がそれらの作品の数々として挙げらる。 中尾の「付加的・組み合わせ法」は私に石棺を想起させる作品(“Ohne Tite1995)の中にもはっきり
と見てとることができる。 彼の以前の作品である合成樹脂で 作られた“型”(カタ)の部分がそこでは薄いファイバーグラスから出来た半透明
の容器の中にミーラの様に横たわっている。 そして容器の方は、恰も石棺のようである。既にこの作品においても分かるように中尾のオブジェ
クトは“物”であり容器である。 そしてその容器は、たとえ破損していても、はっきりと容器であると識別されるのである。ところでこの識別
(Ein-sicht) という言葉の持つ重複性は、私にとって注目に値するものがある。
(*訳者註 : Einsicht=理解・分別《知的》、検閲・閲覧《視覚的》)それというのも中尾は“書き物机”という、これまた同様に中の物が透
けて見えて(durchsichtig)識別できる作品を作っている。 他方で、既にクレス・オールでンバーグも基本的には中尾と同様に日常品を作品化
している。 ただ彼の作ったのは机ではないのだが、そこには彼なりの知的理解(einsichtig)を付加した。更に中尾とオールデンバーグの作品の
相違点は、中尾の“書き物机”は(これが60年代の形式である事は偶然ではないだろうが)、オールデンバーグの家具とは異なりまたそれが必要
となる場合、家具として機能させられなくもないという事だ。 しかし、実際には、それが空洞のようであって、空洞でないように -(引き出しの
中には物差しや三角定規が、照明板の上に載せられている)- そこでも“機能性”と“型(かたち)”が共存している。また、この机が最寄りの電力
供給網へと接続された点からもそれが際立つよう、それは中尾の作品における“前進性”の特徴を見受ける事が出来る。 この作品は彼の他の作品
の家屋状の形体、(“Ohne Titel1995)とともに、この作家のそれ以前の作品よりも作家の“自己理解(自明性)”や人柄をよく示している。机の
方は、芸術家の場の為、(或はまた、エンジニアや、知識人の)のものであり、そしてもう一つの家屋的な形体の方はオブジェクトとして詩的で
透明な光の造形であるが、両作品は、芸術的な構想の象徴的なしるしとして現れ出る。 そしてそれは、合理的で構成的なものと、美的で具体的
(現実的)なものに、即ち、深層的な意識において理性と感覚に空間を与えようとしているのである。
 核がなく外殻のみ   Schale ohne Kern : (訳者註 : Schale = 殻 • 外殻 • 表皮 • 外観 / Kern = 中心部分 • 核 • 種子 • 芯 • 本質 • 中身)
コンクリートの立体 (Aretia,Xenia/1993) の中は空洞である。これらの作品の中核として据えられたものの中身、即ち、核の部分は空洞で
ある。また、ショーケース状の立体で、その中身が吊り下げられている作品 (Aretia 2,1993) においてもまたそれは目立った特徴と言える。
核は本質的もの、即ち直接には見えない種子を含んでいる。さて、ここで“殻”や“身”といった自然の隠喩に基ずき、次に表面と空洞の関係につ
いて考え及んでみることにしよう。60年代以来“表面”のあり方の如何がよく取りざたされるようになったが、例えばウォーホールの次の忠告的
な発言に関し、視点の転換の物凄さが感じ取られる。 即ち彼は「私の作品に何かを見て取りたい者は、その表面だけを見るべきである。その背後
には何もないのだから。」と言ったのである。 ところでその一方、マーティン・ハイデッカーは、既に空洞について次のように抗弁している。
よくそれは(空っぽな空間)何かが欠落したものとしてられる。 空洞は、空間や間隙の満たし損ないと見られる。然し乍ら、恐らく空洞は、だから
こそ丁度その場所の独自性と結び付くことに成り、従って“過失”からのものではなく、それは或る“提示”であり空洞は無や、また欠落ではない。
立体の具現において空洞は「その場所を模索し立案する設立物である。」(Die Kunst und der Raum, St.Gallen, 1969) しかしハイデッカー
 の「その場所を模索し立案する設立物」という原則は中尾の芸術的プロセスにぴったり当て嵌まるものであり乍ら、“表面”という概念はハイデ
ッカーの存在論的思考には未知のものであり、存在の真実はそこには現れない。 中尾の作品は、実質的には空洞そのものではなく物質的な外核
の構成である。実際に我々は、これらのオブジェクトの前ではある距離をおいた鑑賞者であると同時に、この仮想空間への参加者としても振る
舞うことになるのだが、仮想空間と例えたのは、その空間を満たすものは、そもそも、単に光のみだからなのである。しかしまさに、我々自身
のこの移動可能な容器としての“コンテナ”への興味津々の眼差しが、この彫刻の内部を満たし、そしてそれでもって初めてこのオブジェクトに
内在する対称性が、それと相まみえ実現するのだ。家屋のモデルの様なオブジェクト (“Ohne Titel1995) でも変化する光の効果が集中し
それはそこに実現されている。 しかしこの立体は、伝統的な日本の建物の面影が見過ごされないにもかかわらず、それ自体、建築物のモデルで
あることを拒んでいるかのようである。それぞれの階は例えば階段によって互いに結びつけられてはいないのだ。
 もし仮に、我々自らが居る“空間”が実際に変わるとするならば、それに伴い、当の我々自身の側にも、某かの変化が起こり得るであろうこと
が容易に想像つくように、何かに“接近”したり、またそこから“距離”をおいたりするというアンビヴァレントな事象(両義的な感覚)と出逢う毎
に、我々はその時々において、どこか真新しく且つ研ぎすまされ、洗練された何かを見いだす機会を得ているはずなのである。
 中尾正樹の創作は、日本の美学やデザインからこれ迄、我々がそのように理解してきたはずの、その表層的で身近かな領域に近づこうとする
ものではない。寧ろ、それは私にとり、はっきりと異なった発想の地点より、それらは特徴付けられ、づくられてきたもののように思われる。

Dr. フーバート・ベック   文 : ギャラリー・ レスマン & レンザーのカタリグより